製作 酒井道久氏
監修 伊能 洋氏
☆監修の伊能氏は忠敬翁より7代目の御子孫に当たります
 
 平成13年10月20日、江戸時代後期の測量家・伊能忠敬翁の銅像が境内大鳥居横に建立され除幕式が行なわれました。測量開始から200年を迎え、50歳を過ぎてから天文学・測量術を学んだ忠敬翁が注目を集めていますが、翁は深川黒江町(現・門前仲町1丁目)に住み、測量旅行出発にあたっては必ず当宮を参拝していたことから縁りの地であるこの八幡宮に銅像が建てられました。
 
 除幕式当日は晴天に恵まれ、当宮神職による厳粛な神事のあと、この秋公開の映画「伊能忠敬−子午線の夢」で忠敬翁を演じた加藤剛さん、妻・お栄役の賀来千香子さんらが役柄の扮装のまま駆けつけ、地元・数矢小学校の児童たちと除幕を行ないました。また、銅像の横には新地球座標系に準拠した国内第1号の三等三角点「富岡八幡宮」も設置され、同時に除幕されました。これはカーナビゲーシヨンなどに使われているGPSの基準点ともなる21世紀にふさわしい生きたモニュメントです。

 深川周辺には忠敬翁隠宅跡のほかにも、翁が天文学を学んだ暦局跡、歩測訓練を行なった道、忠敬翁終焉の地などが点在しています。歴史を皆さんの足で感じてみませんか?
 
 
伊能忠敬銅像除幕式に参加して  社報:平成14年新春号より

伊能忠敬第7代目伊能洋氏夫人 伊能陽子
 
 最高の秋晴れとなった除幕式当日、富岡八幡宮大鳥居の傍らに、白布に覆われた銅像は息をひそめているように思えました。
 銅像建立が決定してから約半年、この日を目指して制作者酒井氏の活動は始まりました。
 取材のために彼を案内して九十九里や佐原の銅像を見て歩き、忠敬の父の子孫である横芝町の神保さんを訪ね写真撮影をしたのは大雪の日でした。真夏のアトリエに、しっかり立ち上がった粘上の像を見上げた時の驚き、そして細部の疑間を一つ一つ確かめながら完成していく過程を、いささかでも共有できた幸せを、大きな拍手で迎えられた先祖の姿を見つめながら、私はかみしめていました。
 ここ深川に住み、全国測量に出発するときは必ず富岡八幡宮に参詣した忠敬が、もっとも相応しい所を得て、地元の方々に親しんで頂きたいと、心から願っております。 

銅像の傍らに建てられたGPSによる国家基準点(三等三角点)

 
 
伊能忠敬銅像建立にあたって    社報:平成13年夏号より

伊能忠敬銅像建立実行委員会 事務局長  渡辺一郎
(伊能忠敬研究会  代表理事)

 
 深川の富岡八幡宮大鳥居の傍らに、近代日本地図の祖である伊能忠敬先生の銅像が建ちます。忠敬先生は近くの黒江町(現在は門前仲町1丁目)に隠宅を構えていましたが、約200年前の寛政12年閏4月19日(陽暦では1800年6月11日)の早朝に富岡八幡宮に参拝して暇夷地(北海道)測量の旅に出かけました。
 銅像は、背景の大きな黒御影石に刻まれた伊能日本図のあとに、55歳の忠敬先生が、杖先方位盤を手に力強く測量への第一歩を踏み出した姿です。

 忠敬先生はこのときを含めて全部で10回の測量旅行を企画しましたが、遠国に出かけた第8回までは、出発の都度必ず、内弟子と従者を率いて富岡八幡宮に参詣して、無事成功を祈念したのち、千住、品川宿など測量開始地点に向かって歩き出しました。富岡八幡宮は伊能測量にとってたいへん御縁の深い場所であります。
 伊能測量開始200年にあたり、忠敬先生の測った道約11,030キロをたどり、2年間かけて、徒歩で全都道府県を踏破した「伊能ウォーク」も江戸東京博物館の出発式のあと、八幡宮に参拝してお祓いをうけ、無事を祈念して出発しました。

 忠敬先生の制作した日本図が非常に正確なものであったことは今日ではよく知られていますが、あまり知られていないことがあります。
 忠敬先生の日本図は幕府に提出されたときは公開されませんでしたが、50年後の明治維新以降は、明治政府に引き継がれて、近代地図の原図として尊重され、大々的に利用されました。ごく一部ではありますが、100年後の昭和の初めまで命脈を保った部分もありました。伊能測量はまさに、次世代のための大仕事でした。いまの世の中の人たちに大いに参考にして欲しいことです。
 しかも、この大仕事は、佐原の商家の主人として事業に成功したあと、49歳で隠居して江戸に出てから本格的に勉強して、始められたものでした。中高年に元気を与えてくれるお話です。

 八幡宮の近くには忠敬先生の隠居跡、地図御用所跡、暦局跡などゆかりの場所があり、緯度1分の距離を歩測した道筋も分かっています。この銅像が、忠敬先生の名前を広め、先生を正しく理解していただくための基点となることを願っております。忠敬先生関連のイベントの拠点としての活用も考えられています。
 制作は彫刻家・酒井道久氏、監修は伊能忠敬から七代の子孫で洋画家の伊能洋氏です。
 また銅像の隣に国土地理院で新地球座標系による国家基準点(三等三角点)を設置します。銅像は測量の基準としても利用できる生きたモニュメン卜となるでしょう。
 
 
伊能ウォーク無事到着 全国約1万キロ踏破!    社報:平成13年春号より

「めざせ、平成の伊能忠敬!」を合言葉に、「平成の伊能忠敬・ニッポンを歩こう・21世紀の100万人ウォーク」の出発式が当宮にて行われたのが2年前の平成11年1月のことである。
 伊能忠敬は江戸時代中頃の人で、若い頃は酒造業等を営み、隠居の後江戸に出て幕府天文方・高橋至時に弟子入り、測量術を学んだ。そして必ず当宮にて旅の安全を祈願した後、第1次から10次にわたる測量の旅に出て、実に17年の歳月をかけて日本中の海岸線を歩き、正確無比な『大日本沿海輿地全図』を完成させた。
 この「伊能ウォーク」はそんな伊能忠敬の足跡を辿ろうと企画されたもので、第2の人生を花開かせた忠敬にあやかって年配の方々が多く参加し、「敬老の日」にはテレビでも取り上げられた。
 それから2年経ち、全国47都道府県約800市町村を踏破、距離にして約1万キロ、のべ17万人が参加した長旅は、予定通り2001年元旦、日比谷公園に到着した。
 その翌日である1月2日、伊能ウォーク隊の代表が出発式を行った当宮に参拝、祝詞奏上の後、玉串を手向けて八幡様に無事到着の奉告と感謝の気持ちを表した。
 参加された皆さん、本当にお疲れ様でした。