第6回 日光の社寺 〜深山の二社一寺〜
 
 関東平野の最奥・栃木県日光市は、明治時代から自然豊かな保養地として親しまれています。この地に建つ日光東照宮・日光二荒山神社・日光山輪王寺の二社一寺は、平成11年に世界遺産へ登録されました。
東照宮
 日光東照宮は、徳川家康公をお祀りする神社です。家康公は没後、朝廷より「東照大権現」の神号を賜りました。
 東照宮の建築は徳川秀忠公・家光公によって造営され、安土桃山様式の頂点といえ、その大半が国宝・重要文化財に指定されています。正門に当たる陽明門をはじめ、随所に精緻な彩色彫刻が施されており、その主題は様々ですが、それぞれに賢政・繁栄・平和といった意味が込められているのです。
 また、これらの彫刻は実際にはわずか七色で彩色されているのですが、絶妙な配置と天然光の加減によって驚くほど豊かな色彩が生み出されています。5173体ある彫刻の中でも、「眠り猫」や「三猿」などは皆さんもよくご存知でしょう。
二荒山神社
 東照宮に隣接する二荒山神社は、背後にそびえる男体山(二荒山)を御神体と仰ぐ神社で、古くから山岳信仰の聖地でした。男体山山頂からは六千点以上の遺物が発見され、遠く古墳時代の品も出土しています。また、神道・仏教・修験道といった様々な宗教の痕跡が見られるのも特徴です。
 御神殿は隣の東照宮と同じ安土桃山様式で建てられていますが、彫刻のような装飾はほとんどなく、質実剛健な趣があります。
 山そのものを神と崇めたため、二荒山一帯は美しい自然が保存されました。御神域は男体山だけでなく、中禅寺湖・華厳の滝・日光連山まで含まれ、まさに日光全域の鎮守の社といえます。
輪王寺
 奈良時代に創建された四本龍寺を起源とする輪王寺は、中世までは二荒山神社と同様に山岳信仰の拠点でしたが、江戸時代初頭、家康公の相談役であった天海大僧正が再興。朝廷より輪王寺の名を賜わりました。その後、家光公霊廟が境内に設けられ、家康公を祀る東照宮とあわせて、日光は徳川家の聖地となったのです。
 堂宇のほとんどは天海による再興後、徳川幕府の支援を受けて建造されたもので、天台寺院の様式となっています。
 
 明治に入るまで、これら二社一寺は一括して「日光山」「日光三所権現」などと呼ばれ、神仏習合の聖地でした。その信仰も、古くからの山岳信仰に神道、修験道、仏教、更に新しく生まれた東照宮への崇敬という様々な信仰が混ざり合って形成され、こうした独特の形態は今も保たれています。
 霊地へ向かって伸びる日光名所・杉並木の奥には、日本人の祈りの形が集約されているのです。
 

「世界遺産」とは、1972年の国連教育科学文化機構(ユネスコ)総会で採択された「世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約」(通称:世界遺産条約)に基づき、遺跡・景観・自然など、人類が共有すべき普遍的な価値を持つと認められたもののこと。世界各地に、現在700件を超える物件が登録されています。